2016年09月13日
能登へ、、、その4 またね能登島
その1
http://fglass.i-ra.jp/e974734.html
その2
http://fglass.i-ra.jp/e974753.html
その3
http://fglass.i-ra.jp/e974763.html

能登島は、ちょうど稲刈りシーズンで、コンバインが走り回っていました。
『こんなに田んぼ、あったんだな~』
と主人が。
私も同じこと気付いていました。
私達も田んぼをやっているので、そういうところにすぐ目が行くのです。
けれど、25年前は気付かなかった。
能登島は田んぼだらけだったと気付いたのです。
しかも、休耕田がほとんどないのです。
皆、一生懸命田んぼを守って、稲作を続けていました。
それも、若手の方と良く出会いました。
これはすごいことだと思ったのです。

さて、ずっと会いたかったのはこのおふたり。
ガラス工房で、主人と同じ部署だった元漁師の谷口さんと、
その同級生で簡易郵便局局長だった坂本さん。
ほとんど、この二人に弓の手ほどきを受けたのです。
主人も、同期入社のみんなも、初めはみんな廃校で弓を引きました。
島を出るのも入るのも、橋の料金所で800円払わなくてはならない
時代でした。
島の住民が!ですよ!
娯楽施設は皆無で、信号も1つきり。
だから、「暇だろうから、弓引かん?」って、このふたりが、、、
みんなはやめていき、残ったのは私と主人。
やっと安土に矢が飛ぶようになったら、射会に行こう!と、
松任や野々市などの武道館へ連れていかれました、、、
1年ほどで、結局忙しくなって辞めてしまいましたが、、、(╥_╥)
一緒に海でサザエを食べたり、バーベキューやったり、鴨鍋つついたり、
それが囲炉裏だったもんだから、一酸化炭素中毒で、
みんな頭痛で倒れたり、スキーにもよく行きました。
頂上で吹雪にあい、ホワイトアウト状態で何とか下山したら、
全く別のスキー場だったり!(@_@;)
主人がシートベルト非着用で、有料道路捕まったり、
とにかく歳は20歳も上だったけど、仲良くしてもらいました。
このふたりと、能登島でガラスとは関係なく、25年ぶりに
弓を引けるなんて!
能登島を離れる時、想像もしてなかった。
主人も、会いたがっていたので、二人との再会をとても
喜んでいました。
元気でいてくれて、本当に嬉しかった。
そして、谷口さんの息子と、私達の長男が同じ年で、
二人とも弓道部に入って弓を引いているということがわかり、
それもお互いとっても嬉しいニュースでした。
谷口さんは、翌朝、私達にタコや魚を持って来てくれました。
いつかどこかで、みんなで弓を一緒に引けるといいな。

帰る前に、元職場へ、、、
主人は、昔の工房や寮が無くなっているところを初めて見たのです。
どうだったか思い出せないって、ちょっと寂しそう。
そして、新しい工房が立派で驚いていました。
ずっと会っていなかった菊リンや、先輩のナベさんと少し話して
近況報告してました。
それから、もう一人、どうしても会いたかった人のお家へ。
昨年、皆でお茶させてもらった、案山子窯の山田さんのお家へ。
http://fglass.i-ra.jp/e910102.html
実は最近、突然亡くなられたのです。
それで、去年撮った写真、どうしても奥様にお渡ししたくて、、、

奥様とは、14年前にお会いしたきり。
怪訝そうに出て来られた奥様に、説明したら思い出してくださいました。
去年撮った写真を数枚お渡ししていたら、奥からお嬢さんが。
ちょうど里帰りしていたのです。
私がずっと年賀状をやり取りしていた、小学生だったゆいちゃんが、
年末に赤ちゃんが生まれると。
14年前は高校生、今は30歳くらいになったかな?
ちょっと用事で時間が無いそうで、私達も、お悔やみを言って
あわただしく能登島を去りました。

良い再会がいっぱいあった旅でした。
子どもたちに、
この旅行、忘れないでね
って言いました。
それぐらい、私には大切な思い出になりました。
変わったかなと思ったけど、全然昔と変わらなかった。
能登島って、本当にいいところだったなーって改めて感じました。
また訪れたいです。
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その2
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その3
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能登島は、ちょうど稲刈りシーズンで、コンバインが走り回っていました。
『こんなに田んぼ、あったんだな~』
と主人が。
私も同じこと気付いていました。
私達も田んぼをやっているので、そういうところにすぐ目が行くのです。
けれど、25年前は気付かなかった。
能登島は田んぼだらけだったと気付いたのです。
しかも、休耕田がほとんどないのです。
皆、一生懸命田んぼを守って、稲作を続けていました。
それも、若手の方と良く出会いました。
これはすごいことだと思ったのです。

さて、ずっと会いたかったのはこのおふたり。
ガラス工房で、主人と同じ部署だった元漁師の谷口さんと、
その同級生で簡易郵便局局長だった坂本さん。
ほとんど、この二人に弓の手ほどきを受けたのです。
主人も、同期入社のみんなも、初めはみんな廃校で弓を引きました。
島を出るのも入るのも、橋の料金所で800円払わなくてはならない
時代でした。
島の住民が!ですよ!
娯楽施設は皆無で、信号も1つきり。
だから、「暇だろうから、弓引かん?」って、このふたりが、、、
みんなはやめていき、残ったのは私と主人。
やっと安土に矢が飛ぶようになったら、射会に行こう!と、
松任や野々市などの武道館へ連れていかれました、、、
1年ほどで、結局忙しくなって辞めてしまいましたが、、、(╥_╥)
一緒に海でサザエを食べたり、バーベキューやったり、鴨鍋つついたり、
それが囲炉裏だったもんだから、一酸化炭素中毒で、
みんな頭痛で倒れたり、スキーにもよく行きました。
頂上で吹雪にあい、ホワイトアウト状態で何とか下山したら、
全く別のスキー場だったり!(@_@;)
主人がシートベルト非着用で、有料道路捕まったり、
とにかく歳は20歳も上だったけど、仲良くしてもらいました。
このふたりと、能登島でガラスとは関係なく、25年ぶりに
弓を引けるなんて!
能登島を離れる時、想像もしてなかった。
主人も、会いたがっていたので、二人との再会をとても
喜んでいました。
元気でいてくれて、本当に嬉しかった。
そして、谷口さんの息子と、私達の長男が同じ年で、
二人とも弓道部に入って弓を引いているということがわかり、
それもお互いとっても嬉しいニュースでした。
谷口さんは、翌朝、私達にタコや魚を持って来てくれました。
いつかどこかで、みんなで弓を一緒に引けるといいな。

帰る前に、元職場へ、、、
主人は、昔の工房や寮が無くなっているところを初めて見たのです。
どうだったか思い出せないって、ちょっと寂しそう。
そして、新しい工房が立派で驚いていました。
ずっと会っていなかった菊リンや、先輩のナベさんと少し話して
近況報告してました。
それから、もう一人、どうしても会いたかった人のお家へ。
昨年、皆でお茶させてもらった、案山子窯の山田さんのお家へ。
http://fglass.i-ra.jp/e910102.html
実は最近、突然亡くなられたのです。
それで、去年撮った写真、どうしても奥様にお渡ししたくて、、、

奥様とは、14年前にお会いしたきり。
怪訝そうに出て来られた奥様に、説明したら思い出してくださいました。
去年撮った写真を数枚お渡ししていたら、奥からお嬢さんが。
ちょうど里帰りしていたのです。
私がずっと年賀状をやり取りしていた、小学生だったゆいちゃんが、
年末に赤ちゃんが生まれると。
14年前は高校生、今は30歳くらいになったかな?
ちょっと用事で時間が無いそうで、私達も、お悔やみを言って
あわただしく能登島を去りました。

良い再会がいっぱいあった旅でした。
子どもたちに、
この旅行、忘れないでね
って言いました。
それぐらい、私には大切な思い出になりました。
変わったかなと思ったけど、全然昔と変わらなかった。
能登島って、本当にいいところだったなーって改めて感じました。
また訪れたいです。
この記事へのコメント
素晴らしく内容の濃い思いの籠った旅
良い旅になりましたね
良い旅になりましたね
Posted by やまめ
at 2016年09月13日 17:55
